《「会誌97号」発行のお知らせ》
しんあいち歴史研究会では毎年度、3回会員相互の研鑽の場として会誌を発行しています。今回97号を6月下旬に発行しました。以下は会誌の表紙と目次になります。今回も興味あるテーマがそろいました。会誌は会員全員に配布されます。なお、会員以外の方の投稿も受け付けています。


☆令和8年7月学習会
「神武天皇即位は、なぜ紀元前660年なのか」
平安時代に文章(もんじょ)博士(はかせ)であった三善(みよし)清(きよ)行(つら)が記した『革命(かくめい)勘(かん)文(もん)』には、神武天皇即位時期は中国の易緯(えきい)から生まれた辛酉(しんゆう)革命説(かくめいせつ)に基づいて決められたとの記述があります。この辛酉革命説には、いくつかの解釈があり、未だに定まっていません。また、辛酉革命説は、古代中国のいつの時代に誰によって作られたのか、実ははっきりしていません。
この学習会では、この課題を取り上げて、辛酉革命説とはどのようなもので、その解釈を巡って、どのような論争があったのか。辛酉革命説は、実際はいつの時代にどのような経緯で誕生したのだろうか。それらをできるだけ解りやすく説明をしたいと存じます。
『日本書紀』において、当時の編纂に関わった人たちが、どのような考えに基づいて、神武天皇即位の時期を西暦660年と記したのか。それを知ることは、日本古代史において、実際に起こった歴史の流れを知る立場から、とても重要なことと考えます。しかしながら現実には、それを解りやすく説明した文献は容易には見当たらないのです。
私にはたいした力量はないかもしれませんが、その重要性に鑑みて、チャレンジをしたいと思います。
実は、歴研会誌第94号(2025年6月)に、この課題に取り組んでまとめた結果を投稿しました。10頁に及ぶ文量となりましたが、それでも書き切れず、後半で難解な記述となってしまいました。この学習会では、それを改善して、できるだけ解りやすく、噛み砕いて説明したいと思います。
「辛酉革命説とその研究状況」
辛酉革命説を伝える最古の文献は、三善清行の記した『革命勘文』です。冒頭に記されています。そして、『日本書紀』の神武天皇即位年は、辛酉革命説によって定められたという解説があります。三善清行は、昌(しょう)泰(たい)4年(901年)に菅原道真(すがわらのみちざね)が讒言(ざんげん)により太宰府に左遷された直後、『革命勘文』を上奏して、辛酉革命説に基づけば、この年は大変革命年に当たると主張して改元を提案しました。そして、その通り延喜元年と改元されています。この出来事を起点として、日本の年号は、辛酉年を革命(かくめい)の年、甲子(かっし)年を革令(かくれい)の年として改元が行われる事になります。
明治時代となって歴史学者の那珂通(なかみち)世(よ)は、辛酉革命説に基づいて日本の紀年問題を研究して、彼の解釈を発表します。これは明治政府の皇紀制定と施行への支援となりました。
昭和に活躍した中国文化学者の安居(やすい)香山(こうざん)は、那珂通世の辛酉革命説の解釈に疑問を呈し、また、辛酉革命説が『革命勘文』に後漢の大学者の鄭(じょう)玄(げん)の注として記されていることに疑問を呈しています。その後の研究の展開についても説明を続けたいと思います。
発表資料目次
1.神武天皇の即位時期を決めた辛酉革命説
2.三善清行の『革命勘文』
3.菅原道真の左遷と『革命勘文』の関係
4.那珂通世の神武天皇即位紀元説
5.安居香山による那珂説への疑問
6.『大雲経疏』の発見と解読・研究
7.武則天と弥勒下生説の生成に関する研究状況
8.平山朝治の辛酉革命説成立時期についての仮説
9.まとめ
記
1.開催日 令和8年7月26日(日)
2.集合場所 金山市民会館第1会議室 午前9時05分開場・9時15分開演
3.費用 会員、ビジター共 500円
4.申し込み方法:下記申込書を事務局に事前に手渡し、又はハガキ、メールで申込み
5.送付先 446-0044 安城市百石町2-19-7
山本京子 気付 しんあいち歴史研究会事務局
メールアドレス kyoko.y.summer@gmail.com
尚、締め切り日は 令和8年7月18日(準備の都合上、8日前とさせて頂きます)
☆令和8年8月学習会
<美濃「高須四兄弟」の幕末・維新>
おととしより2回にわたり戊辰戦争における幕末から明治維新までの美濃大垣藩の動向について、城代小原鉄心を中心に発表してきたシリーズの3回目。今回も幕末をテーマに大垣藩の南隣に位置する高須藩松平家10代当主義建(よしたつ)の実子、次男慶勝(よしかつ)、五男茂栄(もちはる)・茂徳(もちなが)、七男容保(かたもり)、八男定敬(さだあき)の「高須四兄弟」の幕末維新での活躍をお話しいたします。
高須藩三万石は尾張徳川家の分家であり尾張藩の支藩(御連枝)として松平姓を名乗り、宗家に嗣子が絶えた時にこれを相続し、尾張藩を輔弼する役割を果たす支藩として機能し、小藩ながら江戸城大広間詰めを許された家格を誇り徳川御三家、御三卿に次ぐ名門でした。
幕末維新の激動の時代を生きた慶勝、茂栄(茂徳)、容保、定敬の「高須四兄弟」は、尾張徳川家、一橋徳川家、会津松平家、桑名松平家の養子となり藩主として重責を背負い彼らは国の未来を左右する苦渋の決断を迫られ、片や明治新政府に協力し、片や「朝敵」という汚名を着て、政治的立場を異にして敵味方に分かれ変革の時代に翻弄されました。
尾張藩主徳川慶勝は第一次長州征討では幕府軍の総督を務めましたが、幕府の大政奉還後の王政復古の大号令では、新政府の幹部(議定)として明治新政府に与し、維新時は徳川家を代表し明治政府と交渉する立場にあった御三卿の一橋茂栄(茂徳)、新政府軍に徹底抗戦した会津藩主松平容保と桑名藩主松平定敬の夫々の生き様をご紹介します。
記
1.開催日 令和8年8月23日(日)
2.場 所 名古屋市中区金山1丁目5番1号 日本特殊陶業市民会館3F第1会議室
3.時 間 午前9時 5分 開演 午前11時55分 終了
4.会 費 会員 500円 ビジター 500円
5.申込方法 ①事前に事務局に手渡し
②事前にハガキ、メールで申し込み
送付先 〒446-0044 安城市百石町2-19-7
山本京子 気付 しんあいち歴史研究会事務局
メールアドレス kyoko.y.summer@gmail.com
6.締め切り 資料印刷の関係上開催日の一週間前とさせていただきます。
☆令和8年9月一泊研修会
<京丹後の海の見える人気ベスト3を訪ねます>
今回の一泊研修は、多くの文人墨客が憧れ、詩にも詠まれたた京丹後地方を尋ね、海に纏(まつ)わるテーマを主題にして実施いたします。訪問する場所としては、最近とみに人気の高い漁船の基地「伊根」を訪問し、有名な舟屋を船上から堪能いただくと同時に道の駅からの絶景を鳥瞰して頂きます。記憶に残ること請け合いです。続いては、日本三景の一つ「天橋立」を訪問、北側の笠松公園から「股覗き」をいただく予定です。周辺には、伊勢神宮の神様が伊勢に来る前にいたといわれる「元伊勢この神社」、西国三十三か所巡りの二十八番札所「成相寺」等の名刹がありご満足頂けるものと確信しています。さらに、舞鶴市内の旧海軍関連の名所旧跡を巡る予定です。舞鶴は戦前、横須賀、呉、佐世保と並んで海軍の鎮守府があったところで、多くの旧跡が残されています。まず遊覧船に乗船し、海から海上自衛隊のイージス艦をはじめ、各種艦艇を目の前でご覧いただきます。舞鶴周辺の海軍旧跡は赤レンガの建物が多く残されており、「赤レンガ博物館」にも立ち寄る予定です。続いては、海上自衛隊舞鶴地方総監部の敷地内にお邪魔し、「海軍記念館」を見学します。ここには呉の海軍兵学校と並び称された海軍機関学校、海軍経理学校があり、旧空海軍エリート士官を数多く輩出した歴史を持っています。初代舞鶴鎮守府長官が、日本海海戦を指揮した東郷平八郎が勤めていたとか、皆様おなじみの中曽根康弘・元総理大臣も経理学校第8期の卒業であるなど歴史を持っており、敷地建物が、海上自衛隊に引き継がれています。今回の研修先に行ったことがない人は勿論、今回が再訪になる方も、初めての訪問先、見学内容であるなどの工夫を凝らした研修となります。少々個人では行きにくい所でもあるので、是非この機会に研修に参加して頂きたいと思います。今回は、伊根と舞鶴で2回乗船しての見学内容が用意されています。日本海の潮風に吹かれて、日常の憂さを晴らして頂けると幸いです。是非この機会に「しんあいち歴史研究会」の年に一度の最大の行事に、多数の方が、ふるって参加頂けることをお願いしたいと思います。
記
1.開催日 令和7年9月26日(土)~27日(日)
2.集合場所 金山総合駅 イオン金山店前 午前7時30分集合・出発
3。宿泊 ホテル舞鶴グランドホテル(シングル) TEL:0773-76-7777
京都府舞鶴市円満寺124(JR西舞鶴駅前)
4.費用 38,000円予定
5.参加予定者定員 20名強
(尚、参加人数が予定人数に達しない場合は、実施しない可能性があります。)

